大阪地方裁判所 昭和63年(ワ)5448号 判決 1992年10月15日
反訴原告
宮井芳郎
反訴被告
佐藤雅幸
ほか三名
主文
一 反訴原告の反訴被告佐藤雅幸、同高杉誠之進に対する請求をいずれも棄却する。
二 反訴被告大阪モダンタツク株式会社、同安田勝年は、反訴原告に対し、連帯して金八〇万一五二〇円及びこれに対する昭和六三年六月二一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
三 反訴原告の反訴被告大阪モダンタツク株式会社、同安田勝年に対するその余の請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、原告に生じた費用の九分の一と反訴被告大阪モダンタツク株式会社、同安田勝年に生じた費用の一〇分三を反訴被告大阪モダンタツク株式会社、同安田勝年の負担とし、その余の費用を反訴原告の負担とする。
五 この判決は、二項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一 反訴被告佐藤雅幸、同高杉誠之進は、反訴原告に対し、連帯して金一五〇万八〇円及びこれに対する昭和六三年六月二一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 反訴被告大阪モダンタツク株式会社、同安田勝年は、反訴原告に対し、連帯して金六一万二七二〇円及びこれに対する昭和六三年六月二一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
三 反訴被告らは、反訴原告に対し、連帯して金二〇八万七七八八円及びこれに対する昭和六三年六月二一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
交通事故により後頭部・両肩打撲、頚部捻挫の傷害を受け、通院治療をしていた反訴原告が、さらに交通事故により頚部捻転、腰部挫傷の傷害を受けたため、各交通事故の加害車両の運転手及び使用者に対し、民法七〇九条、七一五条に基づき、損害賠償を請求した事案である。
一 争いのない事実等(証拠摘示のない事実は、争いのない事実である。)
1 次の各交通事故がそれぞれ発生した。
(一) 反訴被告佐藤雅幸(以下「反訴被告佐藤」という)及び同高杉誠之進(以下「反訴被告高杉」といい、両者を合わせ「反訴被告佐藤ら」という。)関係の事故(以下「第一事故」という)
(1) 日時 昭和六一年九月一六日午前五時五〇分ころ
(2) 場所 大阪市平野区加美鞍作三丁目一一番二一号先路上(以下「第一事故現場」という)
(3) 事故車 反訴被告佐藤運転の普通貨物自動車(岡一一あ九三五五、以下「佐藤車」という)
(4) 被害者 反訴原告運転の普通乗用自動車(泉五九そ四六七、以下「第一事故原告車」ないし「原告車」という)
(5) 事故態様 佐藤車が後進中、原告車の前部に衝突し、反訴原告が負傷した事故
(二) 反訴被告安田勝年(以下「反訴被告安田」という)及び同大阪モダンタツク株式会社(以下「モダンタツク社」といい、両者を合わせ「反訴被告安田ら」という)関係の事故(以下「第二事故」という)
(1) 日時 昭和六二年二月二三日午前九時二〇分ころ
(2) 場所 大阪市西淀川区野里三丁目一番四号先路上(以下「第二事故現場」という)
(3) 事故車 反訴被告安田運転の普通貨物自動車(大阪四六ま七六九四、以下「安田車」という)
(4) 被害者 反訴原告運転の普通乗用自動車(泉五六な八一〇九号。以下「第二事故原告車」ないし「原告車」という)
(5) 事故態様 安田車が原告車に追突し、反訴原告が負傷した事故
2 反訴原告は、少なくとも昭和六一年九月一六日から昭和六二年一〇月五日までの間、淀川労働基準監督署長から、休業補償給付として、合計二五五万一三九五円(給付基礎日額一万一〇四五円×〇・六×三八五日)の支給を受けた(乙第二号証、第五ないし第一〇号証、反訴原告の主張等弁論の全趣旨)。また、本件損害のてん補として、反訴被告佐藤及び同高杉から二五万円の支払いを受けた。
二 争点(因果関係及び損害額全般)
反訴被告佐藤らは、第一事故と反訴原告の受傷との因果関係を、反訴被告安田らは、第二事故と反訴原告の受傷との因果関係をそれぞれ争い、反訴原告には第一事故以前から他事故により頭頚部腰部に既往症が存しており、第一事故以後の諸症状は右既往症の延長にすぎず、仮に、第一、第二事故により原告が受傷したとしても、各事故から約一か月間の通院加療に関するものに限定の上、五〇パーセントを下回らない寄与度減額がなされるべきであると各主張し、また、損害額全般を争う。
第三争点に対する判断
以下、前記争点を踏まえ、第一事故前の事故とその既往症、第一、第二事故の各事故態様とそれによる受傷の程度、要治療期間、労働能力喪失の程度、期間につきを検討を加え、その上で各事故と相当因果関係のある損害につき判断することとする。
一 第一、第二事故の各事故による受傷の程度、要治療期間、労働能力喪失の程度、期間について
1 第一事故以前(以下「旧事故」という)の事故とその既往症の治療経過について
(一) 甲第一八、第一九号証によれば、次の事実が認められる。
(1) 反訴原告は、オートバイによるロードレースが趣味であり、レース中、無数の外傷を受けるなどし、また、両肩こりの既往症を有していたが、昭和五九年三月一八日、単車で走行中、乗用車に追突され、転倒し、頭部打撲による意識喪失、左足根骨・右下腿骨骨折の重症を負つた。
反訴原告は、その後、財団法人西淀病院(以下「西淀病院」という)で治療を受け、前記頭部打撲のため、頚部、両肩の痛み、頭痛を訴えた。反訴原告は、同年一〇月一〇日から同月二〇日までの間、右脛・腓骨骨折の抜釘手術のため入院した。反訴原告は、その後も同病院に通院したが、頭痛、頚部痛を訴え続け、昭和六〇年一月には、さらに腰痛が生じた旨訴え、その後、同様の痛みを訴え続けた。反訴原告は、同年三月三〇日、三井倉庫港運を退職した。そのため、重労働をしなかつた期間、腰痛の症状は改善したが、頭痛、頚部・肩部痛は以前と同様であつた。
(2) 反訴原告は、昭和六〇年五月ころから同年八月まで朝自動車でタクシー運転手をし、同年九月から昭和六一年一月中旬まで、大創資材において生コン運転手の仕事をし、その後、日雇いで、生コン、ダンプ、平ボテなどの運転手の仕事をした。その間、反訴原告は、昭和六一年四月七日、二トン車で家具を運搬し、二人でタンスなどを荷台に載せようとした時、腰を痛めた。
反訴原告は、同月二五日、起床時、姿勢変換時、排便時に両側腰部に痛みを感じ、同月二八日以降、物理療法を受けた。しかし、反訴原告は、同年五月から、二トン車、生コン車等に乗り、ほぼ毎日就労した。そのため、腰部の症状は増悪し、両肩の痛みも依然として続いていた。反訴原告は、同病院で、同年六月まで治療を受けたが、鍼治療を受けることを申し出た後、同病院には通院しなくなつた。
(二) 以上の事実によれば、反訴原告は、従来からオートバイによるロードレースが趣味であり、レース中無数の外傷を受けるなどし、また、両肩こりの症状を有していたところ、昭和五九年三月一八日、単車で走行中、他車に追突され、転倒し、頭部打撲、左足根骨・右下腿骨骨折の重傷を負い、以後、頭痛、頚部・肩部痛、腰痛(以下、旧事故によるこれらの症状及びそれ以前の症状を合わせ「既往症」という。)が長期間継続し、少なくとも、昭和六一年六月まで西淀病院で治療を受けていたことが認められ、他に右既往症が完治したことを認めるに足りる証拠はないから、右既往症は、その後も存続していたものと推認される。
2 第一事故の事故態様とその後の治療経過
(一) 甲第一ないし第四号証、第六号証、検甲第一ないし第三号証、鑑定人中村裕史の鑑定の結果及び原告本人尋問の結果を総合すると、第一事故の態様は、次のとおりと認められる。
(1) 反訴被告佐藤は、昭和六一年九月一六日午前五時五〇分ころ、使用者である同高杉の業務のため、得意先に赴くべく、佐藤車を運転し、国道二五号線を西に向かい進行中、第一事故現場にさしかかり、赤信号のため交差点手前で停止した。その際、反訴被告佐藤は、停止地点南側にガソリンスタンドが存したため、給油のため、停止地点後方にあつた同スタンド入り口から進入しようと時速約五キロメートルの速度で自車を約一・五メートル程後退させた。反訴原告は、佐藤車の後方で信号待ちのため停車していたが、佐藤車が後退して来ることに気づき、警告のためクラクシヨンを鳴らした。反訴被告佐藤は、右クラクシヨンの音に原告車の約・五メートル手前で気づき、ブレーキをかけたが、間に合わず、自車後部を原告車前部に衝突させ、佐藤車に後部バンパーガード擦過痕、反訴原告車にボンネツト先端凹損の各損傷を生じさせた(ただし、検甲第一ないし第三号証の各車両の写真上、右各損傷の存否、内容は判然としないし、甲第二号証の実況見分調書上、右衝突による原告車の車動の有無、程度も、定かではない。)。
(2) 鑑定人中村裕史の鑑定の結果によれば、第一事故により反訴原告の受けた衝撃加速度は計算上、一・三G程度であり、佐藤車との衝突時、反訴原告が負傷する可能性があるとすれば、衝撃により上半身が前方に傾いた結果、腰部、胸の前面、顔面に傷害を起こす場合(ただし、一・三G程度の衝撃加速度では、頚部の過屈曲、頭部前面のハンドルへの衝突が生ずるおそれは少ない。)であり、後頭部のヘツドレストへの衝突の際は、運動エネルギーの減衰により、身体の各部に傷害を起こす可能性はほとんどないとされている。
なお、反訴原告は、当法廷において、第一事故の態様に関し、原告車運転席にシートベルトをせずに乗り込んでいたが、佐藤車が後退して来るのに気づき、クラクシヨンを鳴らした後、同交差点北側の信号を見るため右を向いた時、衝突による衝撃を受け、運転席後部のヘツドレストに後頭部、頚部、右肩を打つたのが受傷の原因である旨供述している(同人調書一三項)。
(3) 右事実によれば、第一事故の態様は、極めて軽微な接触事故であり、同事故による衝撃により、上半身が前方に傾いた結果、腰部、胸の前面、顔面に傷害を起こし得ることは別論、反訴原告が供述する後頭部のヘツドレストへの衝突により頚部捻挫等が生ずるおそれは少なかつたと考えられる。
(二) 甲第一〇ないし第一三ないし第一七号証(枝番号省略、以下同じ)、乙第一一ないし第二一号証及び原告本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。
(1) 反訴原告は、第一事故後、昭和六一年九月一六日及び翌一七日、医療法人緑風会病院(以下「緑風会病院」という。)に通院し、後頭部・両肩打撲の病名により治療を受けた(実治療日数二日)。その後、反訴原告は、西淀病院に転院し、同月一八日から第二事故が発生する昭和六二年二月二三日までの間、同病院において、頚部捻挫、肩・後頭部打撲により通院治療(実治療日数一一八日)を受けた。右治療状況は、以下のとおりである。
(2) 反訴原告は、昭和六一年九月一六日に緑風会病院で治療を受けた際、反訴原告は、頭痛もなく頚部運動も良好であるが、こめかみと後頭部が痛いと訴えた。反訴原告は、西淀病院において同月一八日治療を受けたが、項・頚部に圧痛が認められるものの、腱反射は正常であり、知覚障害もなく、レンドゲンフイルム上、著変は認められなかつた。反訴原告は、同月二二日以降、同病院で、ホツトパツク、鍼治療等の理学療法を受けた。反訴原告は、同病院において、頚部痛、頭痛、右肩痛を訴えたが、その症状は一進一退を繰り返しながら次第に軽減し、昭和六二年一月二六日、翌日から仕事に出てみる旨述べるなどしていた。
(3) 西淀病院の担当医である黒岩純(以下「黒岩医師」という)は、大阪弁護士会長からの照会に対し、昭和六一年一〇月二七日、反訴原告は同年一一月末ころから就労可能となる見込みであり、回年一二月末には症状固定する見込みであると回答した。さらに、同医師は、同会長からの照会に対し、同年一二月二七日、反訴原告は、昭和六二年一月末ころから運転手としての就労可能となる見込みであり、同年三月ころ、症状固定の見込みである旨回答した。
なお、反訴原告の傷病は、第二事故が発生し、同一部位に衝撃が加わつたため、右症状固定時期は、黒岩医師が症状が固定すると予測していた昭和六二年三月ころから同年一〇月五日まで大幅に遅延した(反訴被告佐藤らは、反訴原告は第一事故後約一か月で症状が固定したものと主張するが、右事実を認めるに足る証拠はない。)。
(三) 以上の事実によれば、第一事故は、佐藤車が停止後時速約五キロメートルの速度で約一・五メートル後退し、ブレーキを踏んだが間に合わずに生じたものであり、鑑定人中村裕史によれば、その時の衝撃加速度は約一・三Gであつたものとされている上、受傷時の状況である反訴原告の上半身が少し前に上半身が動いた後、後方へ動き、ヘツドレストで頭部、頚部、右肩を打ち、頚部捻挫、両肩・後頭部打撲の傷害を受けたとの点は、運動エネルギーが相当程度に減衰した後の出来事であるから、右のような状況下で、当時二七歳の若者であり、比較的重労働に従事していた原告に人身損害が生ずるかには重大な疑念を持たざるを得ない。
しかし、反訴原告には、従来からオートバイによるロードレースを趣味とし、レース中無数の外傷を受けるなどし、また、両肩こりの症状を有していたところ、昭和五九年三月一八日、追突事故により、頭部打撲、左足根骨・右下腿骨骨折の重傷を負い、以後、頭痛、頚部・肩部痛等に悩まされていたという既往症が存していたのであるから、第一事故による衝撃が、通常人であれば、人的損害を生じないような軽微なものであつたとしても、反訴原告との関係では、右既往症が存する部位にさらに衝撃を受けたことにより、相応の人的損害を受けたと推認できる。
もつとも、被害者に対する加害行為と被害者の既往症とがともに原因となつて損害が発生し、しかも、第一事故以前の既往症が第一事故後第二事故前に生じた損害の主たる原因をなしていると認めざるを得ない場合、右傷病の治療に関連して生じた全損害を反訴被告佐藤らに負担させるのは、損害の公平な分担を図る不法行為の理念上相当ではない。したがつて、前記事故態様が通常人であれば人体に損傷を生じないような極めて軽微なものであるのに治療経過が相当長期に及んでいること、受傷の内容が他覚的所見をほとんど伴わない主訴を中心とするものであること、その他の諸事情に照らし、右損害のうち九割を過失相殺に準じて後記損害から控除するのが相当である。
3 第二事故の事故態様とその後の治療経過
(一) 丙第五ないし第九号証、鑑定人中村裕史の鑑定の結果、反訴原告本人尋問の結果を総合すると、次の事実が認められる。
(1) 反訴被告安田は、勤務先である反訴被告モダンタツクの得意先に赴くため、安田車を運転し、国道二号線を南に向かい、第二事故現場に時速約四五キロメートルで差しかかり、進路の約二〇・六メートル前方に左折しようとしている原告に気づき、時速約三〇キロメートル減速したが、約六・五メートルに接近しても原告車が未だ左折していないことに気づき、急制動の措置をとつたが及ばず、自車左前部を原告車右後部に接触させた。右接触により、原告車はほぼ左折しようとしていた方向に約七〇センチメートル移動し、右後部バンパー・フエンダー凹損、擦過の損傷を受け、安田車も、左前角パネルに凹損、擦過の損傷を受けた(ただし、検丙第一号証、第二号証の事故後の各車両の撮影写真からは、右各損傷の状況は判然としない。)。
(2) 反訴原告は、事故後、警察官に対し、第二事故の態様に関し、左折の途中で原告車を停止させたのは、進路前方の横断歩道上を横断しようとする歩行者がいたためであり、右接触時の衝撃により、首が前後に振られ、痛みを感じたと供述し、腰部については触れていない(丙第九号証)のに対し、当法廷においては、腰部に衝撃を感じ、その後、頚部、肩部を座席で打ち、事故直後は腰部に痛みを感じたと述べており(同人調書二四、二五項)、衝撃を受け、痛みを感じた部位につき、趣旨の異なる供述をしている。
(3) 鑑定人中村裕史の鑑定によれば、第二事故により反訴原告の受けた衝撃加速度は三G前後であり、衝撃により上半身は急激に後方へ倒されるから、腰部、頚部に損傷が発生する可能性があるが、重篤な傷害が生ずる可能性は低いとされている。
(4) 右事実によれば、第二事故は、追突事故であるが、それによる衝撃は比較的軽度であること、反訴原告が受傷するおそれがあつた部位は、腰部、頚部であることが認められる。
(二) 甲第一三号証、第一六、第一七号証、乙第二〇ないし第二三号証、原告本人尋問の結果によれば、第二事故後の治療経過に関し、次の事実が認められる。
(1) 反訴原告は、第二事故後、昭和六二年二月二三日から同年一〇月五日までの間、西淀病院において、頚部捻転、腰部挫傷により通院治療を受けたが(実治療日数一四九日)、その際、意識障害、吐き気はなかつた。反訴原告には、頚部、腰部とも、レントゲンフイルム上、特記すべき異常は認められず、皮下出血もなかつたが、後頚部に若干の緊張と骨盤の関節部分(仙腸関節)に圧痛がみられた。
(2) 反訴原告は、昭和六二年三月九日、同病院において、右腰の痛みはやや軽快したが、左腰の痛みが出て来た旨訴えた。同病院では、同月二三日以降、頚部の痛みに対しはり治療等の理学療法を実施した。その後、反訴原告は、頭痛、頚部痛、肩痛を訴え、同年四月二〇日、仕事に出てみる旨述べ、同年七月二〇日、仕事をしていたらめまいがし、同年八月三日、仕事に出ると頭痛がし、同年一二月一四日、仕事はしているが、右肩甲骨上部に痛みが走ると訴えるなどしていたが、昭和六二年一〇月五日、症状が固定した(反訴被告らは、第二事故後約一か月で症状が固定したと主張するが、右事実を認めるに足る証拠はない。)。
(三) 以上の事実をもとに、第二事故による反訴原告の受傷の存否、内容を検討すると、本件事故は、反訴原告車が左折のため停車中、後方から時速約三〇キロメートルで走行して来た安田車がその左前部角を反訴原告車右後部角に衝突させ、それにより反訴原告車を約〇・七メートル程前方に押し出した衝撃により生じたものであるところ、鑑定人中村裕史の鑑定の結果によれば、その時の衝撃加速度は、約三G前後であつたとされている上、反訴原告は、右衝撃を受け、痛みを感じた部位につき、捜査段階と当法廷において異なる供述をしており、その信用性には疑問が感じられるなど、受傷自体に疑念を差し挟む余地がないではない。
しかし、右事故状況は、反訴原告の頚部、腰部に何らかの損傷を生じた可能性を否定し難いものである上、前述した既往症が存する部位である頚部、腰部等に関し、第二事故によりさらに損傷を生じ得る衝撃を受けたのであるから、反訴原告は、同事故により相応の人的損害を受けたものと推認すべきである。
もつとも、前述したように被害者に対する複数の加害行為と被害者の既往症とがともに原因となつて損害が発生した場合、右傷病の治療に関連して生じた全損害を特定の反訴被告のみに負担させるのは、損害の公平な分担を図る不法行為の理念上相当ではない。
反訴原告の右既往症は、旧事故の事故状況その他からみて軽微なものとは言い難い上、長期間継続し、少なくとも、反訴原告が鍼治療を申し出た昭和六一年六月まで西淀病院での治療が続けられていたこと、第二事故による衝撃は第一事故のそれよりは強いものの比較的軽度であるのに治療期間が長期に及んでいること等を考慮すると、第二事故後に生じた損害中の五割は、既往症、第一事故に起因するものとして(前者は過失相殺に準じ、後者は寄与度減額により)、反訴被告安田らが責任を負うべき損害額から減額するのが相当である。
そして、第一事故の事故態様は、第二事故の事故態様と比較してより一層軽微なものである上、第二事故が発生したのは、第一事故から約五か月以上経過した時点であること、しかも、昭和六一年一二月七日には、黒岩医師が第一事故による傷病は昭和六二年三月には治癒する見込みであるとの診断をなしていたところ、同年二月二三日に発生した第二事故により第一事故と同一部位にさらに衝撃が加わつたことにより、右治癒の時期が同年一〇月五日まで延びたと解されること、第二事故後に存した傷病中、腰部に関するものは、専ら既往症と第二事故に起因するものであり第一事故とは無関係であること等を考慮すると、右第二事故後に生じた第一事故と既往症とがともに原因となつて生じた損害中、反訴被告佐藤らが責任を負うべき損害は二〇分の一に過ぎず、その余は過失相殺に準じ同人らが責任を負うべき損害額から控除するのが妥当である。
二 損害
1 第一事故により第二事故前に生じた損害
(一) 前記認定事実のとおり、反訴原告は、第一事故後、昭和六一年九月一六日及び翌一七日、緑風会病院に通院し、後頭部・両肩打撲治療を受け(実治療日数二日)、同月一八日から第二事故が発生する昭和六二年二月二三日までの間、西淀病院において、頚部捻挫、肩・後頭部打撲により通院治療(実治療日数一一八日)を受けた。右治療経過をもとに、第一事故により第二事故前に生じた損害を検討すると、次のとおりである。
(1) 通院交通費(主張額一九万三二〇〇円)
乙第二四ないし第二七号証及び原告本人尋問の結果によれば、反訴原告が淀川病院に通院するに当たり要したバス、私鉄、JRの交通料金合計は、往復一六八〇円を要することが認められるところ、右金員に反訴原告が同病院に右交通機関により第二事故前に通院したと主張する一一五日を乗ずると、その合計は、一九万三二〇〇円となるから、右限度で通院交通費を認めるのが相当である。
右損害中、九割は既往症に基づくものであるから、過失相殺に準じて減額控除すると、第一事故による通院交通費は、一万九三二〇円となる。
(2) 休業損害(主張額七〇万六八八〇円)
乙第五ないし第一〇号証、反訴原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば反訴原告は、少なくとも淀川労働基準監督署長が本件事故前の三か月間の平均収入をもとに認定した給付基礎日額である一万一〇四五円を下回らない日収を得ていたものと認めるのが相当である。そして、第一事故の事故態様、受傷の内容・程度、治療経過に照らすと、反訴原告が第一事故から第二事故発生までの全期間にわたり労働能力を完全に喪失していたと認めるのは相当ではないが、少なくとも実治療日については、就労することができなかつたと認めるのが相当である。したがつて、第一事故から第二事故までの間の実治療日数である一二〇日間について、休業損害を算定すると、次の算式のとおり一三二万五四〇〇円となる。
一万一〇四五円×一二〇=一三二万五四〇〇円
右損害の九割は既往症に基づくものであるから、過失相殺に準じて九割を控除すると、第一事故による休業損害は、一三万二五四〇円となる。
前記認定のとおり、反訴原告は、淀川労働基準監督署長から昭和六一年九月一六日から昭和六二年一〇月五日までの休業補償費である合計二五五万一三九五円の支給を受けたところ、右金員中、第二事故の前日である同年二月二二日までの一六〇日分に対応する額は一〇六万三二〇円(算式一万一〇四五円×〇・六×一六〇)であるから、前記休業損害は全額てん補済みであり、残額は存在しないことになる。
(3) 慰謝料(主張額六〇万円)
反訴原告の傷害の部位、程度、通院期間、その他諸般の事情を考慮すると、第一事故から第二事故までの入通院による慰謝料は、五〇万円を相当と認める。
右損害中、九割は、既往症に基づくものであるから、過失相殺に準じて控除すると、第一事故による慰謝料は、五万円となる。
(二) 以上の損害額を合計すると、第一事故による第二事故前に生じた損害額は、六万九三二〇円となる。
2 第一事故ないし第二事故により第二事故後症状固定日までに生じた損害
(一) 前記認定のとおり、反訴原告は、第二事故後、昭和六二年二月二三日から同年一〇月五日(症状固定日)までの間、西淀病院において、頚部捻転、腰部挫傷により通院治療を受けた(実治療日数一四九日)。右治療経過をもとに、第一事故ないし第二事故により第二事故後症状固定日までに生じた損害を算定すると、次のとおりである。
(1) 治療費(主張額六一万二七二〇円)
乙第二一ないし第二三号証によれば、右期間の西淀病院における治療費として、六一万二七二〇円を要したものと認められる。
右損害中、反訴被告安田らが責任を負うべき第二事故に起因する損害は全損害の二分の一であり、反訴被告佐藤らが責任を負うべき第一事故に起因する損害は、全損害の四〇分の一であるから、過失相殺に準じ(ないしは寄与度減額として)、右以外の部分につき減額控除がなされるべきである。したがつて、第一事故、第一事故に起因する第二事故後の治療費は、次の算式のとおり、それぞれ、一万五三一八円、三〇万六三六〇円となる。
(第一事故に起因する治療費)
六一万二七二〇円×一÷四〇=一万五三一八円(一円未満切り捨て。以下同じ)
(第二事故に起因する治療費)
六一万二七二〇円×一÷二=三〇万六三六〇円
(2) 通院交通費(主張額二五万三二〇円)
前記認定のとおり、反訴原告は、第二事故後、昭和六二年二月二三日から同年一〇月五日までの間、西淀病院に一四九日間通院したところ、その間の交通費は、前記認定のとおり一往復当たり一六八〇円と認められるから、右期間の交通費は、一六八〇円に一四九日を乗じた二五万三二〇円となる。
右損害中、反訴被告安田らが責任を負うべき第二事故に起因する損害は全損害の二分の一であり、反訴被告佐藤らが責任を負うべき第一事故に起因する損害は、全損害の四〇分の一であるから、前記理由により、それぞれ減額控除がなされるべきである。したがつて、第一事故、第一事故に起因する第二事故後の通院交通費は、次の算式のとおり、それぞれ、六二五八円、一二万五一六〇円となる。
(第一事故に起因する交通費)
二五万三二〇円×一÷四〇=六二五八円
(第二事故に起因する交通費)
二五万三二〇円×一÷二=一二万五一六〇円
(3) 休業損害(主張額九九万八四六八円)
反訴原告は、前記のとおり、少なくとも一万一〇四五円の日収を下回らない収入を得ていたものと認めるのが相当であるから、これに前記通院実日数一四九日を乗じて休業損害を算定すると、次の算式のとおり一六四万五七〇五円となる。
一万一〇四五円×一四九=一六四万五七〇五円
右損害中、反訴被告安田らが責任を負うべき第二事故に起因する損害は全損害の二分の一であり、反訴被告佐藤らが責任を負うべき第一事故に起因する損害は、全損害の四〇分の一であるから、前記理由により、それぞれ減額控除がなされるべきである。したがつて、第一事故、第一事故に起因する第二事故後の休業損害は、次の算式のとおり、それぞれ、四万一一四二円、八二万二八五二円となる。
(第一事故に起因する休業損害)
一六四万五七〇五円×一÷四〇=四万一一四二円
(第二事故に起因する休業損害)
一六四万五七〇五円×一÷二=八二万二八五二円
前記認定のとおり、反訴原告は淀川労働基準監督署長から昭和六一年九月一六日から昭和六二年一〇月五日までの休業補償費として合計二五五万一三九五円の支給を受けているところ右金員中、第二事故後症状固定日までの二二五日分に対応する額は一四九万一〇七五円(算式一万一〇四五円×〇・六×二二五)であるから、前記休業損害は全額てん補済みであることになり、残額は存在しないことになる。
(4) 慰謝料(主張額七八万円)
反訴原告の傷害の部位、程度、通院期間、その他諸般の事情を考慮すると、第二事故から症状固定日である昭和六二年一〇月五日までの入通院による慰謝料は、六〇万円を相当と認める。
右損害中、反訴被告安田らが責任を負うべき第二事故に起因する損害は全損害の二分の一であり、反訴被告佐藤らが責任を負うべき第一事故に起因する損害は、全損害の四〇分の一であるから、前記理由により、それぞれ減額控除がなされるべきである。したがつて、第一事故、第一事故に起因する第二事故後の慰謝料は、次の算式のとおり、それぞれ、一万五〇〇〇円、三〇万円となる。
(第一事故に起因する慰謝料)
六〇万円×一÷四〇=一万五〇〇〇円
(第二事故に起因する慰謝料)
六〇万円×一÷二=三〇万円
3 弁護士費用及び損害合計
(一) 第一事故による損害について
第一事故により第二事故発生前に生じた損害の合計は、六万九三二〇円となり、第二事故から症状固定日までに生じた損害の合計は三万六五七六円となるから、第一事故により生じた損害の合計は、一〇万五八九六円となる。反訴原告が本件損害のてん補として、反訴被告佐藤らから二五万円の支払いを受けたことは当事者間に争いがないから、第一事故による損害は全額てん補済みであり、残損害額は存在しないことになる。
(二) 第二事故による損害について
第二事故により生じた損害の合計は、七三万一五二〇円となる。本件における第二事故の事案の内容、審理経過その他の事情を考慮すると、弁護士費用としては、七万円が相当と認める。
三 まとめ
以上によれば、反訴原告の反訴被告佐藤らに対する請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、反訴被告安田らに対する請求は、金八〇万一五二〇円及びこれに対する反訴状送達の翌日である昭和六三年六月二一日から民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求はいずれも理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 大沼洋一)